22日
バスで美濃戸口に近くなると2週間前とは打って変わって、かなりの積雪である。
今日は行者小屋までなのでノンビリと歩く。柳川からの登りでは美濃戸方面からの車がおっかなびっくりでソロソロと下ってくる。小松山荘で昼食を摂り1時頃に出発。
途中、2度ほど休憩をとって行者小屋に着くが、思いのほかテントの数が少なく小屋も休業でテント場代を徴収にきそうもないので、小屋の玄関前に整地してテントを張る。
23日
前夜は月が煌々とし、星も多く出て晴れ渡った空であったが、今朝は高曇りである。
テント内で出発の準備をしハーネスを着ける段になって、2週間前には何気に締めていたハーネスの締め方が判らなくなってしまい愕然とする。このショックは甚大である。そんなかんだで7時出発の予定が40分ほど遅れてしまう。
文三郎道を少し行くと中岳方面への道を分けているが、バッチリとしたトレースがついている。中岳沢に入ってしばらくするとジャンクションピークへの尾根に取り付くトレースがあり、心配していたラッセルはなく一安心。
支尾根上にでると5人の先行パーティが休憩していたので、われわれも休憩をとる。先行パーティはノンビリ行動のようだ。中岳沢を登っているパーティもいる。
同行のTさんは冬の岩稜は初めてとのことなので、第1岩峰のブッシュを抜けたあたりでザイルを出す。3人で50mザイル1本のため少々時間をくう。
第2岩峰の1ピッチ目では先行パーティの女性がなかなか登れず、時間待ちをする。
1ピッチ目では、Tさんは、化繊手袋ではズルズル滑るらしく、途中で手袋を脱いで素手で登ってきた。
20mほど登ってはピッチを切っているので、這松やピナクルを使用した確保が多くなる。
短いリッジ状を過ぎると岩場がなくなり、ほどなく阿弥陀岳の頂上になる。
ザイルを収納して、パンと飲み物と口にしていると雪が舞いだした。陽射しこそ望めなかったが、あまり気温も下がらず風もなく絶好の登攀日和であった。帰路は中岳から文三郎経由を予定していたが、中岳へのトレースがないので中岳沢をくだる。頂上から行者小屋まで1時間弱であった。
雪の舞う中、テントを撤収して一気に美濃戸にでる。いかに急いでも14:45発のバスには間に合わないので、小松山荘で甘酒を飲みノンビリとする。
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